現地で目を合わせること

(能登地震の被災地の実情として、軽度な描写がありますので、ご注意ください)

先日のnoteに書いた通り、1月1日の能登地震で被災した富山県に行ってきました。東京から三時間ほどで日本海側に着きます。家族と合流して、家のあるところまでタクシーで向かいました。震源地とはすこし離れているので、外から見て被災のひどい家は見当たりませんでした。道路もなめらかなままで、問題なく家に着きました。

家に入る前に、庭にある重たい置物が根っこから倒れているのを見つけました。植木鉢が割れているのにも気がつきました。恐る恐る家に入り、ひとつひとつ部屋を回りました。壁にはところどころヒビが入り、家の中でもガラス類の割れ物があり、包丁が散乱し、お仏壇も前に飛び出、大人四人でやっと移動できるピアノが斜めに移動していました。罹災保険にもし使えたらと写真にすべておさめました。天井からはすすが落ち、家全体がほこりっぽくなっていました。水道水はひねった時茶色い水が出ましたが、水道が通っていること、電気が通っていることに、まず安心しました。

そこから滞在した24時間で、ひとつひとつ片付けていきました。車のバッテリーが上がっていたので、業者の方に電話をし、極寒の中でかけつけていただき、結局車を車修理のお店まで持って行くことになり、途中で地震の被害が大きかった伏木地区を通りました。地震の影響で橋が通行止めになっていて大きく迂回したり、道路が盛り上がって変形しているところを乗り越えたりしました。車修理のお店で、「この道路を下ったところがひどくてね…ひどくて…」と、店員さんが言葉を詰まらせました。その方の家も、津波はこなかったけれど揺れでぐしゃぐしゃになったとおっしゃっていました。仕事に出てきているなど一見日常生活の中にあるように見えても、他者に説明するのが難しく、共感してもらってもどうしようもないような、それぞれが抱えるしかない苦しさを負っていることが滲み出て伝わりました。

すこし揺れれば、余震かと思ってあらゆる手を止めました。そして、「今ここで偶然できていること」が「できない状態にある方々」を思い心臓が痛みました。水道が出る、電気がつく、車が動く、買い物に行ける、屋根がある、家がある、寝る場所がある…

能登地震の被災地もそうですし、今日も家がなく寒空の下生活する多くの方々、日本をこえて想像すると、すぐにガザのこどもたちの瞳に当たります。一体どれだけ恵まれてしまっているのかに自覚的でありたい、そしてそうでない環境にいるひとに自分自身を割かなければいけないと強く思います。

私は現地に行くのがとても遅かったし、正直怖かったです。現地にいる人たちが一番怖いのは当然であるのに。前日の夜にも余震が不安になって、地名で検索をかけていました。情けないです。すぐさま現地に駆けつけたひとを、SNSでバッシングする動きが散見され、一方で、信じられないくらいに現地入りが遅かった責任者や、手段もお金も豊富にあるはずなのにいまだに現地を訪れていない、ひとびとの暮らしを支えるはずの政治関係者に、嫌悪感を覚えます。被害の現状はもちろんのこと、そこに暮らしてきて、これからについては分からない、不安のなかに生活する方々の痛みは、現場で会って目を合わせないと、とてもわかるものではないと感じました。

私はまだ、能登半島に入ることができていません。私自身もまったくもって分かっていません。ボランティアの募集が始まりました。近隣の、政治に関わる友達たちに、自分たちも行かないかと声をかけ始めています。

ホーム令和6年(2024年)能登半島地震に係る石川県災害ボランティア情報特設サイトprefvc-ishikawa.jimdofree.com

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ABOUT US
鈴木 なりさ喫茶おおねこ店主
1997年 9月生まれ ちいさな農家育ち
2016年 青山学院高等部卒業
2021年 2月 武蔵野市で地域密着喫茶店「喫茶おおねこ」開業。以降ひとり店主として地域活動をスタート
2021年 3月 ICU(国際基督教大学)卒業
2023年 武蔵野市で地域密着喫茶店「喫茶おおねこ」のひとり店主をしながら、初めての選挙応援を経験(さこうもみ武蔵野市議会議員)
11月 政治活動を開始
12月 武蔵野市議会議員補欠選挙へ立候補