トントン「あらあいてるじゃないの」ガチャ
「うおい!俺がはいってるよう」
「あらあ~ごめんなさいね~」「鍵すんの、忘れたわ、がはは」
「あ、俺はビール!」「俺も」「私はコーヒーねえ」
せっかくの休み時間だってのに、控室まで聞こえてくる大きな声。まかないのナポリタンを口いっぱいに含みながら外の気配を感じ取る。うん、明らかに3人以上いる。そしてきっとかなり高齢。だって大きな声だし、「ビール」とか「コーヒー」とか、オーダーがおおざっぱすぎるし。(この店にはビールだけで3種類くらいあるしコーヒーは10種類くらいあるので常連さんならきちんと指定するはずなのだ。)
休憩時間があっけなく過ぎ去り、おそるおそる控室を出る。
と、目を疑った。そこには8人のご高齢グループ。二人掛けのテーブルを贅沢に3連結(!)にして、店内のどまんなかに居座っていた。テーブルにはビールが…4本。コーヒーがふたつ。アイスコーヒーもふたつ。控室ではだいぶ壁に守られていたようだけど、ぶっとい声でがやがや話している。な、なんだこりゃ。
「えと、これは・・・」と目を泳がせていると、明らかに不機嫌なマスター。喫茶店だってのにこんな宴会ムードを出されては仕方ない。「ったく・・・じじいがたくさんだよ」と吐き捨てる。マスターは、(自分もおじいちゃんなのに)おじいちゃんにキビシイ。若い子にはヤサシイ。わかりやすいのだ。
(不謹慎だが)誰かのお葬式の後だったのか?と思った。実際近くには葬儀場があるのだ。しかしながらご一行、普段着である。同窓会か?あれこれ思いめぐらすうちに一人がおもむろに電話にでる。「今ねー、○○っていう駅の近くにあるカフェにいるんだよー、○○って分かる?あーわかんねえかー」などまたも大声。腹から出してる。常連さんたちも苦笑いで本ごしに、スマホごしに、そちらをチラチラ見やる。気持ち、分かる。このお店はだいたい一人客が多く、多くても4人がけの席しかないので、8人でご来店する人たちがいるだけでもう十分非日常なのだ。さらに大声のご高齢のご一行となったらもう、なにが起こるんだ?とワクワクしてきてしまうよね。
その後、「適当にケーキをレディースに運んであげて、3つね!」というたいへんザックリとしたオーダーをもらったり、「もっとビール飲もうよ!」などここは居酒屋ではないのだが?とおそろしい気持ちになったり、いろいろとあった。と、しばらくして、なんとなくお開きムードが訪れた時、うち一人がこうつぶやいた。
「俺たちさあ、こうやっていつだって集まってきたけれど、もうみんなと会うのは、俺は、最後かもしれねえなあ」
え、、、何? 何何何?手が止まる。
それにみんな口々に応えるのだ。
「そんな切ねえこというなよお」「まああんた、身体弱いしなあ」
「でも大丈夫だべ」「んだんだ、また集まろうよお、ね?」
じいっと彼らを見つめてしまう。ああ、この時くらいは、ここ、宴会場として開いておいてもいいんじゃあないの、ねえ、マスター。なんて調子いいことを思う。
なんか、いいなあ。
きっと長年の仲だったんだろうなあ。久々に集まったんだろうなあ。とか感傷に浸っていたら、ひとり、またひとりとサッパリと「じゃあのー」なんて言って帰っていく。ええ?感傷に浸っているのはどうやら私だけだったのかいな。こんなに仲のいいご一行なのに、一斉解散ではなく自由解散スタイルなんだ。へえ・・・。
スタッフのうちひとりがぼそりという。「死期が近いとああいう会話もするんだね」聞こえたらどうするんだ。血も涙もない。
<こども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ>からはじまる言葉はこどものころからよくよく聞かされて育ったけれど、今日、その言葉がいつもよりちょっぴり重たく分かった気がする。お店の雰囲気に合わないような人数で来店したけれど。オーダーがおおざっぱすぎて困ったけれど。おそらくみんな耳が遠いせいでえらい大きな声でしゃべっていてうるさかったけれど。テーブルの上も下も散らかり散らして帰ったけれど。
自分たちの仲良しグループのずうっと先の行く末として容易に想像できる彼らなのであった。きっと久々の再会ではこういうことしてしまうだろうな。そりゃ嬉しいもんな。生きてるうちに集まれるってすばらしいことだし切実なことだもんな。これが最後かもねなんて話したくないけれど、そういう話をするようになるんだろうな。
<こども叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ>
どうやらこの言葉には続きがあるらしい。
「子供叱るな来た道じゃ、 年寄り笑うな行く道じゃ、 来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、 通り直しのできぬ道」
作者不明
いいご一行に出会ってしまった、そんな日でございました。
みなさん、また集まれたらいいね。
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