選挙が終わってからもう二週間以上が経ちました。私はここに、けっこうくよくよしていたことを認めなければなりません。だって、悔しかった!地盤も看板も鞄もないところから志一本で出馬して、声をあげて、新しい景色を見たいと思ったし、見れると信じて疑いませんでした。いまでも一点の曇りなく、今回挑戦してよかったと思っています。
しかし終わってから、平時はなんともなく、むしろ選挙が終わると睡眠時間がたっぷりとれるようになったので血色もよくなっていたけれど、お風呂の湯船につかっているときなどにふと「悔しいな〜」という気持ちが溢れて、涙がほろりと出てきました。いただいた一票一票の重さを考えては、私も重たい一票に願いを込めて投票した候補者が受からなかったケースを人生で多く経験してきているので、がっくしくる気持ち(候補者を責める気持ちではなく、大局が変わらない社会へのすこしの絶望みたいな気持ち)がよくわかり、ああ、絶望を積み重ねてしまっていたら申し訳ないと思っていました。ずっと待ち受け画面にある、私の一番好きな人、市川房枝さんの、直筆の「女ひとり生き、こゝに平和を希う」の文字を見て、房枝さんだったらなんて言うかなあ、”受かっても落ちてもわたしはわたし”という姿勢でくよくよしないのかなあ、なんて想像していました。
ですが、人生の先輩に言われました。「もう手放して、忘れて、次行きな」と。ああそうだなとストンと腑に落ちました。腑に落ちたら、これまでは敗因の振り返りを痛くつらいことに思っていたのが、ぱあと霧が晴れるみたいに客観的に分析できるようになりました。
近々、鈴木なりさ選対事務局での振り返りミーティングがあるので、そこでがっつりと客観的に振り返りを進めたいと思います。
負けた時の分析は非常に重要だと思っています。
「大学院に行ったらどう」
「海外に行ってしまったらどう」
「士のつく資格、弁護士とか司法書士とかとったら」
いろんなアドバイスを受けながら、
また自分でも考えながら、年末年始を過ごしました。
ですが、政治活動をして、選挙をして、
ずっとずっと、とんでもなく、楽しかった。
声をあげること。
私たちの声には力があるとみんなで信じること。
ともに生きる社会にしたい願いは、
次々に伝播していくんだということ。
「政治は希望だ」と、確かに思ったんです。
この原点を大切にしたいです。
それに、能登地震をはじめとし、
いのちがずさんに扱われる政治がまかり通っていることを
改めて痛感しました。奪われていいいのちなどひとつもないのに、いろんな理由をつけて置き去りにされている被災地のなかに私の家族の家があります。
予算を割き、常に備え、いのちを救い守るための適切な支援を迅速に手配するのが政治ではなかったのか。怒りを覚えます。
もう政治はだめだ、と諦めたら、思う壺。
「途中、どんなに困難に試されることがあろうとも、
わたくしは永遠に失望しないでしょう」。
尊敬する平塚らいてうさんの言葉を胸に、
あかるいスタートになると信じて、
これからも政治に向き合ってみたいと思います。
<お気軽にお誘いください>
差別と暴力をゆるさず、いましんどい思いをされている方に寄り添う社会を、ともに生きる社会をいっしょに目指しましょう。
さまざまなところで勉強をさせていただきたいと思っております。
イベントや勉強会など、お気軽にお声がけください。
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