「ちいさな仕事」をじぶんの仕事にしたいと思い至って東京に帰ってきたものの、どこでやるのか、どのようにやるのか、なにをやるのか・・・何一つつかみどころがなく、また淡々とした日々に戻っていった。当時はマスターのいるカフェで週三でアルバイトをしながら大学のオンライン授業を受けながら卒論の追い込みにかかっていたから、すきま時間でもんもんと考えながらも、特に進展なく過ごしていた。
2020年12月16日。
道が開けるのはほんの一瞬だった。大学の授業の休憩時間にだらだらとFacebookのタイムラインを見ていたらピタリと指が止まった。【一緒にお店、手作りしませんか?】の題とともに壁塗りの作業のお誘いの投稿だった。
指がぐいっと動いて「興味あります。」とコメントした。
そして、12月28日、実際に壁を塗りに行っていた。
(場所の名前は『ひととてま』。ここでのちにお店を出すことになるとは思いもよらなかった)
ここで、『ひととてま』の代表・ともこさんに出会う。壁を塗りながら(いや実際には塗る時間よりおしゃべりしている時間のほうがずっと長かったのだが)ちいさな仕事をじぶんの仕事にしたいと思っているたぐいの話をした。つたない話であるのに、ともこさんはゆっくりしっかりと聞いてくださって、そうしたら後日、なんとこの『ひととてま』の間借り店主としてやってみないかとオファーをいただいた。またぶわっと、人生に風が吹いたような瞬間だった。
ふたつ返事をしたけれど・・・
「やりたいです!」とふたつ返事をしたけれど、さて何をやろうか決められずにいた。これはあまり人に話したことがないけれど、実は最初は、(主に)女性向けの心身のケアについてのワークショップを週一で展開しようとパッと思いついていた。でも、なんだかしっくりこない。具体的な絵が浮かんでこないから、そこから悩みだした。
これは今回のことに限らず、やることはなんだって、自分と切り離せないくらいに切実な(誠実な)ものであればあるほどいいと、普段から思っている。(もちろんそこからいろんな制約がかけられていくことが多いわけだけど)
私にとって自分と切り離せないくらいに切実な(誠実な)ものとは、「シェルター(安全地帯)」と「井戸端会議」のあいだの『公共の場』であった。あやふやでも近所の人がゆるやかにつながっている場。素朴で、生活に溶け込んでいて、自分をだいじにできる場。『公共の場』を育てていくこと。これがわたしのしごとの目的だなあと、しっくりときた。
目的がつかめていたら、手段は、(ちょっと乱暴な言い方かもしれないけれど)、なんでもいいのかもしれない。
実際のところ手段(=ここで何をするか)は、ブックカフェのようにするか、ワークショップ形式にするか、食堂のようにするか・・・。考えるほどいろいろと出てきて困った。
もういっそシンプルにと思って、
★当時は学生で間借り予定の水曜日は午後から授業が入っていたため→
「午前中のみの営業」にして、
★軽食で集ってもらうため→
「喫茶店」にしてみたのでした。
(もちろんここで、私一人で運営するのに無理のない範囲であることとか、私の生活を支える形の営業内容にできそうかどうかとか、そういう最低限のことは吟味しています)
だいじなのは、目的だと思う
これは私の数少ない 大きな声でいえることだけれど、
だいじなのは、目的だと思う。
なんのためにするのか。だれのためにするのか。
逃げ場のすくないこの世の中で、『公共の場』を育てていくこと。
これが私のちいさな仕事の目的だ。
今後、喫茶店をたたんでほかの業態にしてみる可能性はおおいにある。
本屋かもしれない。食堂かもしれない。
それでもぜんぜんいいと思っている。
ただなにをやるとしても、きっと自分と切り離せないくらいに切実な(誠実な)ものであればあるほどいいから、目的をだいじにしていけたら素敵だ。
こんな風にして、喫茶おおねこはだんだんと姿をあらわしていくのでした。
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